十勝・帯広 翠邦浴 vol.7 狩勝峠・「十勝小唄」歌碑

千葉豊翠
蒼庭子書院(北海道帯広市)

猛暑続きだった帯広の夏も9月に入ると一気に秋の気配。
北海道の屋根・大雪山系から始まる紅葉が一気に裾野へと広がる、そんな季節となりました。

さて今回ご紹介する桑原翠邦先生の作品は狩勝峠展望台にある「十勝小唄」歌碑です。
狩勝峠は北海道の私くらいの年代(?)の方であれば必ず通ったことのある峠です。
一般道で十勝から富良野・旭川方面に行く時には必ずと言っていいほど通ります。

この名称の由来は旧狩勝国と旧十勝国から一文字ずつとり命名されました。
1927年(昭和2年)に「日本新八景」にも選定され、峠からは広大な十勝平野を一望できます。
この峠の展望台に「十勝小唄」歌碑があります。


十勝・帯広 翠邦浴 vol.7 狩勝峠・「十勝小唄」歌碑千葉豊翠
「十勝小唄」歌碑



十勝小唄は、十勝毎日新聞社初代社長・林豊州氏が昭和2年、広く十勝を紹介するために郷土の観光と物産を詠みいれた「十勝小唄」を作詞。当時としては珍しいレコードを制作、踊りも振り付けられその普及を図ったと、碑の「建立の由来」にあります。

十勝・帯広 翠邦浴 vol.7 狩勝峠・「十勝小唄」歌碑千葉豊翠
「建立の由来」


因みに「建立の由来」は柴田蕙山先生が書かれています。


=十勝小唄=
ラン ラン ラントセ カネ(金)ガフル(降る)
トカチ(十勝)ノヘイヤ(平野)ニ カネ(金)ガフル(降る)
狩勝峠で東を見れば
雲か海かや 只(ただ)茫々(ぼうぼう)
十勝平野は
涯(はて)しも知れず
あれさ日本一 豆の国

歌に詠みこまれた「豆」は今なお十勝を連想させる「あずき」。
歌がつくられた当時は、十勝産あずきが全国の相場をけん引し十勝経済を潤し、正に大地に降る雨が豆となる、そんな様子を「金」が降ると歌ったとも言われています。

この歌碑は、作詞50周年を記念して1976年(昭和51年)に建立されました。
翠邦先生71歳の作品です。

肉筆は、帯広市内にある十勝毎日新聞社グループの北海道ホテル二階ホールに有ります。


十勝・帯広 翠邦浴 vol.7 狩勝峠・「十勝小唄」歌碑千葉豊翠
「十勝小唄」肉筆



皆さんが観光や全書芸の講習会など様々な機会で狩勝峠を通過する機会がありましたら、是非頂上で一服してみてください。十勝平野の広さに感動されること間違いなしです。
そして、そこに翠邦先生の書もあります。
歌碑を見つけるだけでもなんだかウキウキしますよ。😊

※今までご案内した作品の所在地はこちらのマップで確認できます。