鳴鶴・一六・天来に酔う
今回は6月2日の投稿で掲載した画像、日下部鳴鶴書「本間氏歴代之墓」がある増毛町の國稀酒造と旧商家丸一本間家を訪ねたお話です。
ところで、皆さんは北海道の増毛町をご存じでしょうか?
日本酒がお好きであれば「國稀」というお酒を飲まれた方もいらっしゃるかもしれませんね。
増毛町は札幌市内から北へ約115㎞、車で約2時間20分くらいでしょうか。たとえて言うなら、全書芸から水戸の偕楽園くらいです。(笑)
人口4千人強の町ですが、嘗て鰊漁で栄え、中でも丸一本間家は呉服商、鰊漁の網元、海運業、酒造業(現國稀酒造)で財を成し北北海道の豪商と呼ばれました。
6月中旬、三か月ぶりの札幌出張を終えこのまま帯広に帰るのも勿体ないと思い、増毛町の國稀酒造に足を延ばしてみようと思いました。前回の訪問から十年は経っているはずです。
前日、國稀酒造の副社長林花織様に連絡が取れていましたので旅の幸先は申し分ありません。(林花織様は創業者本間泰蔵氏のひ孫にあたられます)快晴の日本海を左手に見ながらのドライブはコロナ禍を一時忘れさせてくれます。
増毛に着いてすぐに國稀酒造へ。2001年北海道遺産に選定されたレンガ造りの店内はヒンヤリとしています。正面に6畳ほどの畳の間があります。ここで出迎えてくれるのが日下部鳴鶴の扁額「守以節倹」。なんとも薫り高く静かです。思わず背筋が伸びます。
店員の方に到着を告げ林様にご挨拶。以前と変わらないにこやかな笑顔に、何かほっとする思いがしました。ここから、林様自らが案内役を買って出てくださいました。
売店を抜け工場の入り口に立つと「丸一本間合名會社」の看板があります。これも鳴鶴が書いたものです。本当に落ち着いた「作品」です。そして今回驚いたのが、お店の前に掛けられた「國稀」の看板も鳴鶴筆とのこと。これは一大事ですっ!現在お酒のラベルやパッケージに使用され私たちがよく目にする「國稀」とは違うものです。
因みに、「國稀」の由来ですが、日露戦争戦没者の慰霊碑建立のため本間泰蔵氏が発起人となり、直接東京の乃木希典に揮毫の依頼に赴いた際に、その人格に感銘を受け「希」の一字をいただきそれまでの「國の誉」という銘柄を「國稀」としたそうです。「希」とせず「稀」としたのは、そのまま用いるのはおこがましいと考えたそうです。今なら逆に喜んで使ってしまいそうですね。当時の人たちの畏敬は神聖でもあるということでしょう。そして泰蔵氏が依頼した揮毫「忠魂碑」は町の厳島神社に保管されています。
鳴鶴を堪能した後は、國稀酒造から150メートルほど離れたところにある「旧商家丸一本間家」へうかがいました。こちらでは正に増毛の生き字引ともいえるガイドの松本さんに案内していただきました。
明治の時代、北北海道で隆盛を極めた当時の本間家の屋敷がそのまま保存されています。やん衆やそこで働いた女中たちの息遣い、喧噪の中に自分が佇んでいるかのようです。財を成した当主は書家・画家たちを招き、逗留の間、彼らは思う存分増毛を遊び楽しむ一方、多くの書画を残していきました。こちらでは巌谷一六・比田井天来の作品を見ることができますが、特に一六の作品は襖仕立てされており圧巻です。
皆さん想像してみてください。
鳴鶴や一六が増毛に来ていた。同郷の二人が・・・
お互い、「増毛はいいところだなぁ!」と盛り上がっていたのでしょうか。
もう、想像しただけでもワクワクします。
伝えたいことが山ほどあって書き尽くせません・・・。
しかし、旅行にもブログにも終わりというものがあるもので、もうこの辺で切り上げなくてはいけません・・・
これを読んで居ても立ってもいられなくなった皆さん、北海道・増毛町へ是非!
(コロナ対策をお忘れなく)
そして足を延ばして十勝に来る!
私たちの仲間が待機しています!
素通りなど出来るはずがありません(笑)
旅を終えたら・・・・
多分、きっと、もしかすると「書」が見違えるかもしれません。
但し、結果は自己責任でお願いします(笑)
(蔵元限定 「原酒」を飲みつつ)