印と私(4)辺縁(印文の外枠)の重要な役割ー呉昌碩の印よりー

佐藤容齋

雅印でも実用印においても印には辺縁がつきものです。一般的には、辺縁は印文とそれを囲む外枠との境界線的な役割程度にしか思われていないことが少なくありません。しかし、芸術性を追求していく篆刻の世界では、辺縁は本文の文字だけでなく、それと相呼応して作品効果を高めていく重要な役割を持つことがあります。特に朱文印(陽刻)においては辺縁を本文の一部のようにしたり、逆に本文の不足を補ったりすることも可能で篆刻作品の可能性を大きく広げていくことができます。

呉昌碩の刻「半禅老人」
図1「半禅老人」2.4×2.4cm


図1の呉昌碩の刻した「半禅老人」を見ると、「老」の横画と縦画は辺縁を全て取り払い辺縁と同様の役割を為している。それと対角線上にある「禅」の右端の縦画もほぼ同じような役割で、他の辺縁は有るか無いか位に目立たないように残しています。これは本文の線が太目に刻されているのを生かすための技法で、辺縁を細(ほそ)く微かに彫ることで本文が一層美しく見えるように引き立てているのです。また、「半」の縦画と二本の横画の交差した左部分を少し彫り残しているのも意図してのことであって見逃してはならない高度な意匠の一つです。

呉昌碩の刻「半禅」
図2「半禅」0.8×2.4cm


次は同じ人物に刻した長方形の朱文印「半禅」(図2)です。この印は以前から気になっていた作品でしたが、そのからくりを解きほぐすことが出来ないままでいました。その理由は「半」と辺縁の関係が今一つ分からなかったからです。「半」は図1にあるような形が一般的で「八」と「牛」の組み合わせです。この「八」は数字ではなく分ける意の「八」で「牛」を半分に解体するような字義になります。ところが、この印を見ると「八」の一画目が左上の辺縁が兼ねているようにも見えるし、そのすぐ右下の斜画が一画目のようにも見える。その下部は牛には見えず数字「千」のようでもあり、「半」の篆体として疑問が出てくるわけです。
いくつかの篆書の字書を調べてみても、この形の「半」がなかなか出てこなかったのですが『古篆文大字典』を調べてみると、ようやく図3の字例が見つかりました。これは「八」と「牛」との本来の字義とは異なるものではありますが、呉昌碩はこの字を引用したのはほぼ間違いありません。

『古篆文大字典』より「半」
図3『古篆文大字典』


呉昌碩は全て斜画のこの「半」と斜画のない「禅」を調和させるために巧みに辺縁を活用しました。「半」の右の斜画を少し太くして辺縁との間に空間を取り、その後微妙に辺縁を左に流すことで斜画の辺縁を作り、すぐ左の「半」の中心の斜画と相反する角度をつけて対抗させることで緊張感とバランスを持たせるという絶妙な構成を生み出しているのです。
「禅」の辺縁も巧みですが、もうここまで来たら説明は不要かと思います。良い作品には知的な中にも汲めどもつきない楽しい趣が無数にあります。もう一度じっくりと鑑賞し味わってみましょう。

最後にお目汚しになりますが、辺縁を完全に取り除いた拙作「随処楽」(図4)を掲載させていただき終わりといたします。今回もお付き合いいただきありがとうございました。

佐藤容齋の刻「随所楽」
図4「随処楽」