先生
ペンネーム悪筆子
歳とってから急にその意味がまた違って見えるようになる過去の思い出があり、歳を重ねるのも悪いことばかりではないと少し明るくなる。
とにかく怖いだけの印象の先生だったが今頃になって違った見方をふと思いつくようになった。
ひょっこりひょうたん島の博士のような全体像の先生は竹を割ったような以上にさっぱりした研ぎ澄まされた性格の笑顔の少ないそしてその笑顔もどこか寂しげな方だった。
しんとして皆が筆を動かしている間ぽつりぽつりと話されたことは、どうしても欲しい高価な筆があってご主人に思い切って買ってもらったこと、御兄弟は姉妹方だったことなどで、温泉が嫌いと言われたときは珍しいなあと思ったが、今は共感する。
お一人になられご主人の会社の社長も引き継がれていた。一度突然携帯を取り出しそれはそれは怖く叱責されて、驚いたが相手は会社の方のようだった。
先生のご指導は言葉少なく短いものだったが無駄がなく的を得ていた。字の上手な方に作品に面白みがない、一杯引っ掛けてから書きなさいと言っていたことも印象に残った。
緊張のお教室のあと、駅で電車を待つホームで耳にした仲間の話す昔の先生の話、社長夫人だった頃はふくよかだった、書道界のライバル争いと先生など興味深く聞いていた。
子供が知的障害があり、遠方の幼稚園の送り迎えの間に飛び込んだカルチャーの書道教室が先生の教室だったこともあり、話題が子供のことになったとき、一言だけ、旦那はちゃんと面倒見てるのと聞かれた。後々障害児の家庭では家族の協力が得られず苦労する方が多いと聞いたとき、先生の優しさをじんわりと感じた。
いちまつせんせいから来たよ、そう言いながら学校帰りにポストの添削の封筒をよく持ってきてくれた小学生だった娘も今や3児の母である。
本当に長い間ご無沙汰していたが亡くなられたと聞き寂しく思うと同時に当時とはまた違った印象で見える先生の稀な強烈な人物像にはじめて気がついた。