清風入梧竹
最近、縁あって中林梧竹の半切作品を入手することができました。いろいろ調べてみると、七十歳代ごろの作品のように推定されます。さらに作品集などに出ていないか手持ちの梧竹作品集数冊を調べてみましたが見当たりませんでした。知り合いの梧竹研究家にも尋ねてみましたが見たことが無いとのことでした。
それはともかくとして、この作品が送られてきて直ぐに家のわずかなスペースにかけてみると、狭い部屋ではありますが清風梧竹に入るがごとく、スーと清らかな風が流れ出てくるような気がしました。それからひと月ほど掛けて、毎日鑑賞していますが見どころがとても多く、見れば見るほどその良さが見えてくるので、まだ掛け替えられないでいます。
自分だけで楽しんでいては、もったいないと思い教室の方々にもお見せしました。感想を聞くと、落款にも目が行って「落款が本文と一体化して書かれていますね」とか「雅印が傾けて押しているのはどうしてですか」とかの反応がありました。
私は数多い中林梧竹の作品の中でも特にこの作品が気に入りました。その理由の一つには曲線と直線を明瞭に書き分けているところです。また、墨はさほど薄くはないのですが、墨量が多く滲んで太くなった点画が随所にあり、それに対応するかのようによく引き締まった細い線が全体の明るさと清らかさとを引き出しているように見えてきます。
また、一行目の「洲」「帰」や二行目の「樓」の右回転の線は単純にクルクル回しているのではなく、線の太さの差や、その中の空間の疎密の変化をつけて書いています。その筆運びは瞬間芸でありながら実に理にかなっていて、まさに超絶技巧といえるのではないでしょうか。中心部にある「心」とその周辺に見られる点は全て異なる打ち方をして絶妙で自然な変化をしています。心地よいピアノの音が聞こえてくるようでもあり、桜の花びらが穏やかな風に乗ってひらひらと舞い散る姿のように見えてきたりもします。
まだまだ言い尽くすことはできませんが、いつか皆さんにお見せし、いっしょに鑑賞する機会がもてればと思っています。
もう一つ、箱書きについても触れたいと思います。
一般的に箱書きは、作者自身あるいは誰かに依頼されて書くことが多いのですが、この箱書きでは表に「中林梧竹先生草書五絶」とあるだけで裏には何も書かれていません。もちろん梧竹先生ご本人の筆ではないわけですが、誰か所蔵者から依頼されて書いたものでもないと思います。もし依頼されて書いたのであれば、必ず裏に署名を記すはずです。つまり、この箱書きは所蔵者本人が書いたもので、他人に渡すつもりが無いから署名を入れなかったのであって、それが代替わりをしていくうちに箱書きの揮毫者が分からなくなったのではないかと思われます。
何故、私がこの箱書きに拘るのかというと、その揮毫された書の水準が極めて高いからです。一行に十文字を行草で書かれ、筆運びが自然で美しく字の大小を巧みに織り交ぜて、箱書きでありながらも見事に書の作品になっています。この筆者は並々ならぬ技量の書家であろうと思われます。調べ始めたばかりではありますが、可能性の一人として渡邊沙鷗が思い浮かばれます。沙鷗は日下部鳴鶴の門人で、中林梧竹にも私淑していて、弟子をとることの無かった梧竹も沙鷗にだけは指導をしたことがあると言われています。
たいへん素敵な梧竹書と揮毫者不明の見事な箱書き、まだしばらくはこの作品から目を離すことが出来ません。